ファッションで何とか乗り切る子育てライフ

水曜どうでしょう放送当時の肌感覚

こんにちは、makinaです。

わたしは北海道出身。高校生のころから、水曜どうでしょうとともに生きてきました。

もう放送当時から20年も経つんですね。

放送当時

放送当時といっても、ほんとの初期は知りませんでした。

わたしが初めて観たのは212市町村カントリーサインの旅です。ミスターが大泉を次々におどかして、リアクションだらけの回でした。

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わたしは、これの何がおもしろいんだと思って、その後しばらくどうでしょうから遠のくことになります。最初に見たのがあれじゃぁしょうがないですね。

次はマレーシアジャングル探検。兄のすすめで、家族全員で観た記憶があります。ちょうど夜中から夜11時台に移って、観やすくなった回でした。

それがおもしろくて、そこから毎回観るようになりました。そして過去のものも兄が録画していたので観ました。

そのころは大人の男性が多く観ていたのではないでしょうか。わたしの友だちとかまわりでは観ている人はいなかったので。

友だちとも「どうでしょう観てる?」っていう話ができるようになったのは、シェフ大泉夏野菜スペシャルのころです。

視聴率はこのあたりがピークだと思いますが、あとから振り返ってみないとピークはわからないものですね。

わたしの周りでもはやりだしたと感じたころで、これからどこまで行くんだろうと思っていました。

視聴率的にはそれよりどーんと行くことはありませんでしたけど。

でも、大泉の全国進出のたびにお祭りさわぎみたいな時期だったので、どうでしょうも北海道以外にも知られるようになった時期です。

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わたしも18歳で上京してからは、東京ウォーカーで4人が歩いていた場所まで行ってみたりしました。飛行機で金沢の武家屋敷まで行って同じアングルで写真を撮ったり。

家族もどうでしょうが好きで観ていましたから、離れて暮らしていてもどうでしょうでつながっていましたね。

セリフもぜんぶ丸暗記しているといっても過言ではありません。

わたしがいちばん好きな企画は、リヤカーで喜界島一周です。企画発表と、翌朝の攻防が秀逸ですね。

本編も、一致団結しているときのVTRが撮れていないところがきゅんときます。

4人の仲の良さを存分に楽しめる企画です。

放送終了後

放送終了後は、兄に録画してもらっていたものを毎日観ていました。DVDが発売されるようになって、それも楽しみでしたね。

東京でもどうでしょうのステッカーを貼った車をみかけるようになりました。

でも終了してから15年ですもんね。

その間に大泉は俳優になり、チームナックスのメンバーも露出が増えました。

でもやっぱり一番はどうでしょう。

個人的には、他の作品はすべてスピンオフみたいな感覚です。

これからもずっと見続けたいですが、いつかDVDプレーヤーが存在しなくなったらどうしよう。そんな時代になったら、手持ちのDVDが観られないじゃないか!

いつでも観られる媒体を持っていることで、安心して毎日を送れるのです。