こんにちは、makinaです。
当たり前すぎて、子どもに教えていないこと。
これが、意外と、多いんです。
「この車は、お父さんが買ってくれたんだよ。」
「今日のごはんは、お母さんが作ってくれたんだよ。」
「あなたの誕生日は、今まで関わってくれた全ての人に感謝する日なんだよ。」
当たり前のことというか、大前提。
1つ1つ、子どもに言っていかないと…。
「わかってくれているだろう」では、何も伝わっていないかもしれません。
子どもは、言わなきゃわからないのです。
感受性も言葉で教えなきゃ育たない
わが子が、私にいじわるをした時のこと。
「そんなことされたら、お母さん、どんな気持ちかな?」
「…イヤな気持ち。」
「そうだよね。お母さんがイヤな気持ちだったら、あなたはどんな気持ち?」
「…ふつうの気持ち。」
ふつうの気持ち!?
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期待していた言葉と違いました。
だから、私は、こう言いました。
「そう?お母さんは、あなたがイヤな気持ちだったら、悲しい気持ちになるよ。
あなたも、お母さんがイヤな気持ちだったら、悲しい気持ちになることもあるはずだよ。」
「…うん。」
わが子が、「ママが悲しい気持ちでも自分はふつうの気持ち」というのは、ある意味正解です。
他人は、自分ではありませんから。
だったら、親が、子どもの感じ方を修正するようなことは、するべきではない。
でも…。
子どもが小さいうちは、「感受性」を、「言葉で教える」ということがあっても良いと思うのです。
たしかに、生まれつき感受性が弱い子もいます。
それも、個性です。
感受性が弱いおかげで、自分も共倒れになることを避けられる側面もあります。
ですが、そこで何も教わらなければ、「他人を傷つけても自分はふつうの気持ち」のまま、成長してしまいます。
伸ばすべき個性と、少し子どもに言うことで修正できる個性がある。
「この子は他人の気持ちがわからない」と嘆くのではなく、「感受性を言葉で教える」必要があるのではないかと思うのです。
「誰かが悲しい気持ちだったら、自分も悲しい気持ちになるということも、あるはずだよ」。
そこまで言うのも無粋ですが、仕方ありません。
「当然、わかるだろう」ではなく、「子どもは言わなきゃわからない」の精神で、いちいち教えることにしています。
教えた夫自身がびっくり
夫にも協力してもらって、「今日のごはんは、お母さんが作ってくれたんだよ」と、言葉にしてもらったことがありました。
そんなことも忘れたころに、わが子が、ふと、こう言いました。
「お母さん、ごはんを作ってくれて、ありがとう。」
これには、自分が教えたのに、夫自身がびっくり。
「おー!
そんなこと言えるようになったのかー!」
なごやかな空気が流れました。
存在しなかった感情が芽生えるかもしれない
誕生日は、プレゼントをもらう日。
そうではなくて、今まで関わってくれた全ての人に、感謝する日です。
まだちょっと難しいかもしれませんが、誕生日のたびにそう伝えていけば、少なくとも「感謝なんて思いつかない人生」ではなくなります。
親が、ひとこと言う。
それだけで、子どもの中に、それまで存在しなかった感情が芽生えることも、あると思うのです。