ファッションで何とか乗り切る子育てライフ

「きちんとした場所にスニーカーで来るな」は正しいか?

音声版はこちら

こんにちは、makinaです。

拍車がかかっている、スニーカーブーム。

もはや、ブームの域を超えています。

「いくら流行っているからといって、きちんとした場所にスニーカーで来るな」という意見もあります。

たしかに、もっともなのですが…。

残念ながら、スニーカーの意味合いは、その範疇を超えています。

強力な2つの背景

エフォートレスの流れから、エレガントスタイルにまで波及してきた、スニーカー。

大流行してから数年が経ち、以前よりもエフォートレスの価値観は少し弱まりました。

ラフなだけでなく、どこかきちんとした印象を与えるスタイルが、今の主流です。

ところが、スニーカーには、強力な背景があります。

それが、ジェンダーレスと、健康志向です。

ジェンダーレスが当たり前の時代に

ハイブランドのコレクションが、メンズとレディースを合同で行われることが増えました。

小物だけでなく、服まで、性別の垣根が取り払われているのです。

今は、「ジェンダーレスがおしゃれ」という程度ですが、この先は、おしゃれでも何でもなくジェンダーレスが当たり前になりそうです。

と同時に、「ジェンダーレスでなければならない」という押し付けもなくなるはずです。

女性らしいハイヒールも良し。

ジェンダーレスなスニーカーも良し。

どちらも当たり前、という感じです。

どちらも、トレンドの枠を超えた価値観になりそうです。

健康は最重要事項

AIが労働の一部を担うようになると、人間に求められるのは、余暇の充実です。

余暇が充実していない人間は、AIに勝てそうもないからです。

そのためには、健康が今まで以上に重要になります。

スニーカーがはばかられるような場面にもスニーカーが広まっているのは、そんな未来を予感しているからではないでしょうか。

よく、「最近はどこもかしこもスニーカーばかり。

きちんとした場面には、きちんとした靴をはくべきだ」と言われます。

「いくらスニーカーが流行っているとはいえ、TPOを考えましょう」と。

その通りなのですが、スニーカーの意味が今、そのレベルを超えていることは、気に留めておいたほうがよさそうです。

「冠婚葬祭だってスニーカーでいい」?

世界中の人が、海外旅行に積極的です。

美術館や、百貨店に、スニーカーで出入りしている人たちは、旅行者かもしれません。

見た目ではわかりません。

本当に、多いのです。

「こんなところにスニーカーで来るなんて、旅行者なのかしら」と思うかもしれません。

本当に、旅行者である可能性が、相当高いのです。

「きちんとした場所には、きちんとした靴で」と言うのは簡単ですが、「たとえ旅行中であっても、将来AIに負けるとしても、今ここできちんとした靴をはきなさい」と言えるでしょうか。

少し、当てはまるシチュエーションが狭まることが、お分かりいただけるのではないでしょうか。

そこを意識していないと、本当に「きちんとした靴」が求められる場面に関して、多くの人の同意を得るのが難しくなります。

「冠婚葬祭だって、スニーカーでいいじゃないか」という意見を、誘発してしまうのです。

世界観を守るため

私が「美術館だって百貨店だってスニーカーでいい」と言うのは、スニーカーを広めるためではありません。

「本当に『きちんとした靴』が求められる場面にはスニーカーはダメ」という世界観を守るためなのです。

ただ何となく、今までと同じように、「スニーカーはTPOを考えましょう」とか、「きちんとした場所にはやっぱりハイヒールを」と言うのでは、誤解されます。

「考えればわかるだろう」では、不十分です。

そういう意識のままでは、確実に、冠婚葬祭がスニーカーで行われる時代を招きます。

「さすがにそうはならないでしょう」と思われるかもしれませんが、可能性が高いから言っているのです。

スニーカーの重要性、これからの時代との親和性、トレンドのレベルを超えた存在になりつつあることを、しっかり認めないと、悪いことになります。

どうして、「冠婚葬祭にはスニーカーはダメ」という世界観が確立していないといけないかと言うと…。

事情があってスニーカーしかはけないけれど冠婚葬祭にはどうしても参列したいという人が、本当に参列できなくなるからです。

世の中には、そういう人もいるのです。

そういう人たちも、「いっそのこと全員スニーカーならいいのに」と思う人ばかりではないのです。

「冠婚葬祭だってスニーカーでいいじゃないか」という世の中は、「冠婚葬祭にスニーカーはふさわしくないと思うけれどスニーカーしかはけない人」が尊重されない世の中です。

「スニーカーでいいんだからいいじゃないか」ではダメなのです。

ふさわしくないと思っている人が、「スニーカーが許される時代になったのね」という目で見られているかもしれないと思うことは、苦痛です。

「やむを得ない事情がある」ことを理解してもらうには、逆説的ですが、「スニーカーはダメ」という原則が確立している必要があるのです。

人間が人間らしくいるための武器

私はよくハイヒールをはきますが、スニーカーの意味合いの変化を、ひしひしと感じています。

もし、外出先で、「ここにスニーカーで来るのはどうなんだろう…」と思ったら。

ちょっと思い出してみてください。

スニーカーは、トレンドのレベルを超えています。

カジュアルとかスポーティとか、そういう存在ではもはやありません。

ジェンダーレスと健康志向という時代背景が後押しする、AIに負けずに人間が人間らしくいるための武器なのです。

そこさえ認めれば、本当にスニーカーがふさわしくない場面がスニーカーだらけになることは、きっとないはずです。

一緒に、そんな世の中を目指しましょう。



自分が「上品」かどうか知る方法

標的にされないためにはどうしたら良いのか

ワイドパンツの流行が続いている理由

スニーカーブームはいつまで続く?

グッチのダッドスニーカー「ライトン」のサイズ感

センスってどうやって磨いたらいいの?