こんにちは、makinaです。
あなたは、エレベーターに乗った時、「開」ボタンを押す派ですか?
押さない派ですか?
扉が閉まったら困るから、「開」ボタンを押してあげる。
誰かが押してくれるから、自分は押さない。
いろいろな考え方があります。
私自身は、以前は押す派だったのですが…。
今は、「毎回その場で決める派」になりました。
押さなかったり、押したり。
毎回同じではいられないような、ムードの変化を感じます。
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「開」ボタンを押さずに降りてみた
以前は、自然と「開」ボタンを押して、他の人に先に降りてもらっていました。
ところが、ある時から、ちょっと気になるようになりました。
何ていうか、自分が「開」ボタンを押すことによって、意思疎通を投げかけることになっている、ということが。
お礼を要求しているわけではないのですが、相手に「お礼を言うかどうか」という選択をさせることになる。
試しに、「開」ボタンを押さずに先に降りてみました。
うん。
別に、私が押さなくても問題ないか。
でも、これだと、誰かがもし押していてくれていたとしても、わからないし、お礼も言えません。
だからといって、私が押すと、「あ、どうも」と言わせているような気になる…。
どちらか一方には、決められなくなってきたのです。
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状況によって変えてみる
そこで、毎回、エレベーターに乗るたびに、その場で判断するようにしてみました。
状況によって、変えるのです。
すると、あることに気がつきました。
「開」ボタンを押すより、誰かに押してもらった時にはっきりとお礼を言うほうが、心が楽だということに。
前までは、当たり前のように、自分で「開」ボタンを押していました。
でも、最近は、コミュニケーションを発動しているような、意思疎通を投げかけているような、そんな気がするようになりました。
なんとなく、そんなムードを感じます。
そんなふうに感じるようになるなんて、思っていませんでしたが。
だから、「開」ボタンを押さないで、もし誰かが押してくれたら、そのことに対してお礼を言う。
はっきりとお礼を言うと、穏やかな気分になれます。
心が楽です。
子どもを抱っこしているから、ベビーカーだから、という理由で、譲られることも増えました。
この時ばかりはと、くっきりはっきり、お礼を言います。
逆に、自分が「開」ボタンを押す時は、「うっとうしかったらすみません」という気持ちです。
いつも譲られている人は、うっとうしいかもしれませんから。
きっと、こんな気持ちかな、とか、色々な可能性を考える。
時代の空気なのか、感じ方が変わってきています。
どちらかに決めてしまわない
本当は、行動パターンを1つに決めておくのが、一番ラクです。
でも、そうもいかない空気感。
どちらかに決めてしまわない、というのも、選択肢の1つです。