定価で買った物が次の日にセールになっていた時に思ったこと

こんにちは、makinaです。

自分は少し、人と感じ方が違うんじゃないかと思うことがあります。

例えば、服のお店で、定価で買った物が、次の日にセールになっていた時。

ふつうは、「損した!」とか、「きのう買わなければよかったー!」と思うでしょうが…。

私の場合、「きのう1日着れたからよかったかぁ。」とか、「セールになっちゃってからじゃ買えなかったかもしれないし。」と、すぐ思うのです。

さらにそれよりも強く思うのは、「きのうの時点で『買わない』という判断はムリだった」ということ。

「その時点でのベストな選択だった」という事実が、損した金額よりも、私の中でどうしようもなく重いのです。

気持ちは割に合わない

一般的に、「人はトクした喜びよりもソンした怒りのほうが2.5倍大きい」と言われます。

だから、定価で買った物がセールになっているのを見たら、2.5倍怒るはずです。

「定価で買わずにセールで安く買えた喜び」よりも。

それに、もし3000円安くなっていたとしたら、たった1日分で3000円もかかっていることになります。

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高すぎる。

割に合わない。

でも、私にとっては、その1日を、気に入って買ったアイテムと過ごせたことが大きいのです。

今日になってセールになっていて、すぐに誰かが買って売り切れていたかもしれない。

きのうだから買えたのだ、と。

そこがすごく大きい。

2.5倍の怒りより大きいということは、3倍でしょうか?

そして、きのうの時点で「買わない」という判断は、今考えてもやっぱりないのです。

「その時点でのベストな選択だった」という事実が、損した金額よりも、どうしようもなく重い。

つくづく、気持ちというのは、割に合いません。

金額では測れない。

ファッションへのこだわりだけではない、それ以上のものがあります。

「今」以外の自分が重い

他には、風邪がひどくなった時に、「良くならないの?大丈夫?」と言われたことがありました。

私が、「いつもこうやって一旦ひどくなってから、その後治るんです。

だから、ひどくなっているっていうことは、治ってきてるっていうことなので、良くなってます。」と言うと…。

「…そういう考え方あるんだ…。」

と言われました。

今の風邪がひどい自分よりも、このあと治る自分のほうが、重いのかもしれません。

今よりも、少し先だったり、過去(服を買ったきのう)のほうが大きい。

というか、もちろん今は重いですが、他の人と比べると、私は、今以外の自分が少し重いかもしれません。

これが、良いことなのかどうなのか…。

今を生きる夫

夫から何年も前に言われたことも覚えているし…。

かと思えば、まだ起こっていない先のことまで心配になったり…。

夫は、今を生きる人。

しょっちゅう、「僕そんなこと言ったっけ?」と言っていますし、「そんな先のことわかんないよ」とよく言います。

おそらく、定価で買った物が次の日にセールになっていたら、黙っていないでしょう。

(どうにかなるものでもないと思いますが。)

こだわりの分野は計算が通用しない

冷静に考えたら、今日からセールになったからといって、同じ服がすぐに売り切れていた可能性は、ほんの数%でしょう。

他にも服はたくさん売っているのですから。

だったら、きのう買わずに今日安く買って、万事うまくいった可能性は、かなり高いです。

「心配事の9割は起こらない」と言われるように、「どのくらいの確率で起こりそうか」をシビアに想定することで、生きやすくなることも事実です。

せめて、自分の苦手分野や、生きにくさを感じる部分は、あまり過去や先のことに捉われない。

反対に、好きで楽しくて、こだわりもある分野なら、多少計算が歪んでもいいんじゃないかな。

くらいに思っておこうと思います。