こんにちは、makinaです。
歩いていて、目の前にゴミが落ちていたら。
あなたは、拾いますか?
状況にもよりますが…。
ゴミ箱がすぐそこにあったら、どうですか?
拾ったことがある人と、基本的に拾わない人に分かれるのではないでしょうか。
ある日、通路のゴミを拾った私に、夫が一言。
「拾わなくていいよ。」
え?
どうして?
よく考えてみると…。
夫は、きれい好き。
私は、部屋が散らかっています。
もしかして、きれい好きな人ほど、道端のゴミを拾わないんじゃ…?
私は、きれい好きではないので、外ではそれを悟られないようにゴミを拾ってしまう。
加えて、道端のゴミをそれほど汚いと思わない。
だから部屋が散らかってるんだと言われると、納得してしまいます。
それ以来、道端でゴミをスルーしている人を見ると、「きっと部屋がきれいなんだろうな」と思うようになりました。
道端のゴミを拾わない人ほど、きれい好きなのかもしれません。
きれい好きな人は道端のゴミを拾わない
夫は、きれい好きです。
そして、道端のゴミは、拾いません。
外食で食べ物を落としたりした時も、拭きません。
私が、こぼしたところを拭くと、「拭かなくていいよ」と言います。
床は汚いことをわかっているし、道端のゴミも汚いと思っているようです。
それに何よりも、ゴミを拾うという「善い行い」をしなくていられる自分を持っています。
「善い行い」に興味もなく、ゴミを拾うことが「善い行い」だなんて、思ってもいません。
自分を持っている人というのは、こうなんだな、と思わされます。
外では悟られたくない
私はといえば、部屋をきれいに保てないのに、外ではゴミを拾ってしまいます。
きれい好きでないことを、悟られたくないからです。
そして、ゴミを拾うことは「善い行い」だと思っているので、なるべくその現場を誰かに見てほしいと思ってしまいます。
道端のゴミもそんなに汚いものだと思わないので、余計に「善い行いを見てほしい」という方が勝つのです。
外食でこぼしたり落としたりしたものも、拾って、拭きます。
しょっちゅうそういうことがあるので、夫に「拭かなくていいよ」と、何度も何度も言われるのです。
せっかく「善い行い」をしても、周りの誰も見てくれないし、夫にはやらなくていいと言われるし…。
やらないということも、試すようになりました。
でも、よほど自分を強く持っていないと、「こんなに目立つものをスルーできない!」となってしまうのです。
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次の人が気持ちよく過ごせる
もちろん、道端のゴミを拾っている人が全員「善い行いを見てほしい」と思っているわけではありません。
むしろ、そう思っている人は、私のように、ごく少数派だと思います。
ただ、道端のゴミを拾わずに通り過ぎる人は、部屋はきれいという可能性は高いです。
きれい好きだからこそ、外ではゴミを拾わない。
私も、部屋をきれいに保てるようになったら、きっと外でゴミを拾いまくることはなくなるはずです。
何回かに1回は、拾わないということがムリなくできるようになる予感がします。
でも、その場できれいにすれば、少なくとも次に通る人や使う人が、気持ちよく過ごせることは事実。
決して、無駄ではないと思うのです。
まずは、夫と一緒の時だけでも、拾わないようにしてみる。
自分1人の時は、自由にする。
そのくらいから、始めてみたいと思います。