「自分には責められるところはない」というのは大きな欠点

こんにちは、makinaです。

『徒然草』には、こんな一節があります。

「人より優れているのは、大きな欠点である。」

慢心が起こり、災いを招くというのです。

これと似た考え方をすれば、「『自分には責められるところはない』と思うのは、大きな欠点である」と言い替えられるのではないでしょうか。

「自分には責められるところはない」と思っていると、慢心が起こる。

つまり、「自分は間違ったことをしていない」と思っていると、災いを招くということです。

私が、「標的にされないようにするためには、あまり正しいことをしないほうがいい」と思うのも、これと似ています。

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「正しい」は変わる

もしかしたら、自分の方が間違っているのかもしれない。

ちょっとでも、こういう気持ちがあれば、自然と謙虚になります。

自分は、正しい。

そう思っていると、慢心が起こる。

周りの人は、それを敏感に感じ取ります。

ましてや、「正しい」は、時代とともに変わるのですから…。

今は正に、時代の転換期真っただ中です。

周りの人から敏感に感じ取れらている

生き方や、子育てに関する議論でもそうです。

「私は、きっちりやってきた」と思う人ほど、そう思っていることを周りの人から敏感に感じ取られています。

自分の正しさを根拠に、何か言動をとると、それが標的にされます。

徒然草で言われている、「自分には責められるところがないというのは、大きな欠点」というのは、こういうことのように思います。

「なぜこんな目に遭うのか、さっぱりわからない」?

もちろん、誰だって、自分が正しいと思っています。

自分は、何でもきっちりやってきた。

責任を果たしてきた。

それが、大切な自己肯定感につながっているのも事実です。

「それが慢心を生む」ということを、普段は忘れていてもいい。

ただ、標的にされたり、上手くいかない展開が訪れた時、「もしかしたら、自分が正し過ぎることが理由かもしれない」と思えるかどうか。

そう思えるだけで、その後の対処が変わってきます。

「なぜこんな目に遭うのか、さっぱりわからない」と思うか、「もしかしたら、自分の思う『正しい』は、もう変わってしまっているのかもしれない」と思えるか。

「なぜこんな目に遭うのか、さっぱりわからない」という場合は、さらに自分の思う正しさを主張して事態が余計に悪くなるかもしれません。

「標的にされない」ことが大きな武器になる時代

事態を余計に悪くしてしまわないために、まずできること。

それは、自分の正しさが今どこまで通用するか、常に意識することです。

そして、もう通用しないとわかったら、修正すること。

「謝る」というのは、かなり有効です。

そして、「やっぱり正しい」と思っても、あまり正しい言動ばかりをしたり、正しさを主張したりはしないようにする。

それが、「慢心」という大きな欠点を防いでくれます。

今の時代、「標的にされない」というのが、どれだけ大きな武器になるか。

そのための努力は、どれほどしてもし過ぎることはありません。



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