学びが足りていない分野の自覚

こんにちは、makinaです。

自分に足りていない学びの分野というのは、その時代と場所の人たちとの関係によって変わります。

その時代に重要ではないものは、学びが足りていなくても自覚できません。

また、一部の世界だけで重要視されているものも、自分の周囲に全くないものは、その分野の学びが足りていなくても本人は自覚しません。

その時代と場所の人たちにとって重要なのに自分の理解が追いついていないものだけ、学びが足りていない分野として自覚するのです。

自分に足りていない知識、学ぶべき分野を学ぶことは、時代の渦中にいると出遅れがちです。

今の時代と環境であれば、学びが足りていない分野として自覚できるものの1つに、自尊心の守り方、断り方、態度の取り方、意思の通し方などの言語的・非言語的コミュニケーションの分野があります。

常識や価値観が変わっている最中に、社会の中に身を置く場合に重要性が増すにもかかわらず、見たことも聞いたこともないほど「習っていない」のが、この分野だからです。

自尊心の守り方、断り方、態度の取り方、意思の通し方などの言語的・非言語的コミュニケーションの分野を強化すれば、これからの時代の社会生活がかなり営みやすくなります。

もしここを強化しない場合、価値観の転換が完了するまでは、社会生活がままならなくなります。

30種類以上あると言われる各種人格否定の被害などはほんの一部で、家族親族関係の不調和だけでも命に関わるからです。

おそらく、今「新しい価値観」とされているものが社会に広まるまでには、70年ほどかかると考えられます。

5年や10年で入れ替わるほど、下の世代は人数が多くありません。

人口のボリュームゾーンの人たちが寿命を迎え、ただでさえ少ない若い世代が増えるまでには、じりじりとした年月が必要だからです。

自尊心の守り方、断り方、態度の取り方、意思の通し方などの言語的・非言語的コミュニケーションの分野を強化しない場合は、約70年社会生活を営みにくい状況が続く。

そのことに直感的に気づいているから、人はこれほど「コミュニケーション、コミュニケーション」言うのです。

そして、この分野を学んで強化していくのは、修業のようなもので、少し社会と距離を置くと一気にはかどり、社会生活にどっぷり浸かったままだと修業中の失敗のたびにストレスがかかって思うようにはかどらないという特徴があります。

このあたりのことを、今みんながやっているのです。

組織を変えようと奮闘して疲れたり、会社や事務所を離れて自分でお金の勉強をしていたりというのを、多くの人が今やっています。

今は、国の制度や業界のセオリーもそうですが、そのままだと70年くらい崩壊してから、価値観の転換が完了したらまたやれるという端境期にいます。

その間、人は成長せずにはいられない生き物なので、70年間崩壊したままにはしないものです。

そこで人がやり始めるのが、足りない分野の強化です。

もうやり始めている人も、これからやり始める人も、ずっとやらない人もいます。

だからこそ、どんなに立場や境遇が違う人とでも、思いがけないところでわかり合える時代なのです。

足りない分野の強化は修業の様相を呈しますが、国から、業界から、社会から少し距離を置くと、一気にはかどります。

国に、業界に、社会に、どっぷり浸かりながらだと、修業中の失敗のたびにストレスフルな状況になります。

自分に足りないものを自覚し、強化する際には、国の制度のちょっと横に、業界のセオリーのちょっと横に、社会のちょっと横に、小さいものを作って、そこで修業と思って学ぶと良いのではないかと思います。

自尊心の守り方、断り方、態度の取り方、意思の通し方などの言語的・非言語的コミュニケーションの修業の中身というのは、相手から嫌なことを言われそうになる直前に勢いよく話しかけるとか、無言で相手に80センチまで近づくとか、そういうことです。

奥が深いですが、難しくはありません。

「自分にはコミュニケーションの分野の学びが足りない」なんて、大昔の人も、遠い未来の人も、おそらく考えもしないでしょう。

学びが足りていない分野の自覚というのは、その時代での重要性によって変わるものだからです。