こんにちは、makinaです。
毎朝、顔を合わせるお母さんたち。
お父さんが子どもを送りに来ているケースも、けっこう多いです。
しょっちゅう顔を合わせるのに、あいさつをしてくれない人が何人かいます。
今までは、相手があいさつをしてくれる・してくれないにかかわらず、私からあいさつをしていました。
でも、最近は、そういう人には無理矢理あいさつを投げかけないようにしています。
時代の変化を感じるからです。
正しさを押し付けられるとイヤな気持ちになる
あいさつは、礼儀の一つ。
「礼儀正しい」という言葉があるように、あいさつは、正しいことです。
あいさつをしない人は間違っていて、あいさつをする人が正しい。
今までは、それで何の問題もありませんでした。
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ところが、今は、時代の変動期。
正しさが、通用しないタイミングです。
「誰にとっても間違いなく正しいもの」が、1つもなくなったと言っても過言ではありません。
この時代の変化にもかかわらず、今までと同じように「正しい」ことを投げかけられると、イヤな気持ちがしてしまうのです。
あいさつをしない人の考え
あいさつをしない人は、聞くところによると、「友達じゃないから」、「知り合いじゃないから」しないのだそうです。
園で毎朝顔を合わせるお母さんたちやお父さんたちも、「友達じゃない」し、「知り合いじゃない」。
なるほど。
「あいさつは知っている人にするもの」と言われれば、確かにそうです。
街にいる人全員にはあいさつしませんから。
その「知っている人」の範囲が、人によって違う。
私は、同じ園の人は「知っている人」と思っていることになりますが、話したことがない人だらけだし、「知っている人」ではない。
「知り合いじゃないから」あいさつしないという人と、正反対どころか、ほとんど同じということになります。
正しい行いを意識的に減らす
それなのに、「私は、あいさつをしないあの人とは違う。
あいさつをしないあの人にも、こちらからあいさつをするのが正しいんだ。」と思ってしまうのは、いささか危険です。
自分の思う正しさを貫くには、今の時代はタイミングが悪すぎます。
もう少し、価値観が安定してからのほうが無難です。
それまでは、自分も「あいさつしない人」になるというほんの少しのリスクを負う。
つまり、あいさつをしない人には、無理矢理あいさつを投げかけないのです。
あいさつをしない人にも毎朝あいさつを投げかけ続けると、イヤな気持ちをさせてしまいます。
正論をぶつけられた時と同じように。
「あまり正しいことをしない」というのは、混乱期の生存戦略として有効です。
悪い人になる必要はありません。
意識的に正しい行いを減らすのです。
そのほんの少しのリスクが、近い将来の大きなダメージを防いでくれるはずです。