こんにちは、makinaです。
謝る時の、心がまえ。
それは、「謝ることができるのはまだ幸せなほうだ」と判っておくことです。
世の中には、謝らせてすらもらえない人が、たくさんいます。
謝ることは気が進むものではないですが、謝ることができるのはまだ幸せなことなのです。
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謝ることができるのは幸せなこと
謝ることができるのは、幸せなことです。
そのうえで、どう謝ったら相手に聞いてもらえるかを考えます。
大事なのは、非を認めることです。
では、非を認める言葉とは、どんな言葉でしょうか。
「してはいけないとわかっていながら、こういうことをしました。」
「こうするべきとわかっていながら、そうしませんでした。」
「自分で薄々わかっていながら、軽く考えていました。」
つまり、わかっていながら、わざとしたということを、強めに認めるのです。
こうやって自分の非を認めることができるのは、幸せなことです。
これをさせてもらえずに、苦しんでいる人が、たくさんいるのです。
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何が「ごめんなさい」?
そして、「申し訳ありませんでした」や「ごめんなさい」も伝えます。
ここで大切なのは、何がごめんなさいなのか、ということです。
「悲しい思いをさせてごめんなさい。」
「損害を与えてごめんなさい。」
「迷惑をかけてごめんなさい。」
「面倒をかけてごめんなさい。」
「不愉快な気分にさせてごめんなさい。」
「不自由な思いをさせてごめんなさい。」
「期待を裏切ってごめんなさい。」
たいていの場合は、1つだけではありません。
いくつも当てはまることが多いです。
何がごめんなさいなのか。
ここが相手の思いと重なっていないといけません。
幸か不幸か、これらの全部が相手の思いと重なるということもあります。
その場合、全部伝えても言い過ぎということはありません。
ありがたいこと
わかっていながら、わざとしたこと。
何がごめんなさいなのか。
これを言うことができるのは、ありがたいことです。
その必要がないことが何よりですが、頭の片隅に置いておいていただければと思います。