こんにちは、makinaです。
あきらめないことが良いこととされる風潮のなかで、最近、あきらめる力も話題になり始めました。
なかなかできないですよね、あきらめるって。勇気いりますよね。
いままでがんばってきたんですもんね。
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あきらめたら何もかも終わり、という考え方にも一理ある…。
でも、悪いことばかりじゃないですよ。あきらめるって。
何かをあきらめると、エネルギーがわいてくるんです。
アクティブになれる
わたしは、資格試験合格をあきらめて、就職しました。
試験に落ちた後に、今後、合格の可能性はどのくらいあるか、先生に聞いたんです。
そしたら、いまよりかなりがんばれば、可能性がないこともない、という回答でした。
それまでも、自分で上出来なほどがんばっていたので、いまよりかなりがんばるというのはムリでした。
その一言で、わたしはあきらめました。
あきらめてからというもの、就職に向けて一直線。それまでになかったエネルギーがわいてきて、厳しい就職活動もがんばれました。
あきらめるって、こんなにアクティブで、エネルギッシュなものだったかな、って、不思議に思うくらい。
泣いたり、後悔したりしませんでした。
あきらめるって、悪いことばかりじゃないって、そのとき思いました。
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あきらめても大丈夫なのはどんなとき?
じゃあ、いまがんばっていることをあきらめないほうがいいのか、あきらめたほうがいいのか、迷いますよね。
一つの指針は、エネルギーの量です。
他のことや、真逆のことに、エネルギーを感じたら、あきらめても大丈夫なサインです。
エネルギーが高まって、からだが勝手に動く、という感覚です。
頭よりも、無意識とか、からだのほうを信用するんです。
そんなサインがあるときに、誰かの言葉や、何らかのきっかけがあれば、自分でもはっきりと、あきらめてもいいんだと感じるはずです。
そのとき、それまでになかった生きるエネルギーがわいてくると思います。
もう準備は整っていたということです。
それに向けて、大きなエネルギーが生まれるのを感じると思います。
もしかしたら、それまでがんばりつづけたエネルギーより大きいかもしれません。
「がんばりすぎない」とか、「がんばらなくていいんだよ」というニュアンスとはちょっとちがいます。
そういう静的なあきらめもありますが、アクティブなあきらめもあるんです。
頭のかたすみに置いておく
生きている以上は、基本、あきらめずにがんばっているということです。そっちがふつうだと思います。
逆に言えば、他のことにエネルギーを感じないうちは、がんばりつづけていいということ。
ただ、あきらめずにがんばりつづける間も、自分の感覚にときどき注意を向けて。
そして、あきらめることが人生にエネルギーを供給してくれることを、頭のかたすみに置いておくだけでいいんです。